COVID-19の後を想像しようとしています。
こんな人類にとっての試練。
このまま私たちが同じ生活を続けていて、済むわけはないし、済ませてはいけない、
ということだと思う。
日々のことは大事だけど、それに振り回されてしまうと、
行き詰まることは目に見えている。
だから、日々のこともやりながら、その先を考えて暮らしていきたい。
その先のことと言っても、もしGW明けに外出自粛、休業要請が解けたら・・・。
元通りの生活に戻っちゃう?
それが長引いて例えば11月30日までです、と言われたら、
このあとどう暮らすんだろう?
1年後にワクチンができたら?安心できるのだろうか。
そして、選択肢に一つに、そもそも、終わりなんて、
当分やって来ないのではないか?
というある意味最悪のシナリオも考えられる。
天然痘のことを思っています。
1796年、ジェンナーが種痘の接種を初めて行いました。
エジプトのラムセス5世のミイラにもその痕が見られる、
長く長く人類を苦しめてきたウイルスによる伝染病。
種痘の発明は、すばらしい快挙でしたが、その後生まれているスターリンも罹っているし、
発生が0に抑えられてWHOによる撲滅宣言が行われたのはなんと1980年。
ウイルス性伝染病の天然痘は予防法、治療法が確立されても、
世界中に長く脅威を与える存在でありました。
人は学ぶものだから、ウィルスの性質やワクチン、治療法が解明されるまで、
この現代にこれと同じ時間がかかるとは思わないし、
その意味で西洋医学の進歩を信じています。
天然痘のケースを出すまでもない、早いタイミングの成果が期待できると思います。
それでもCOVID-19との闘いは、ある一定の期間共存せざるを得ない、
想像以上に長いことだろう、と覚悟をすべきとも思います。
だから、今日・明日の私たちの生活は、
COVID-19が去った後の未来とつながった毎日でありたい。
私の想像では、このままいくとその先には、感染しなかったひとでも、
「すっごく健康な人、健康を取り戻した人」
と
「病的な人、病気予備軍の人」
に二極化されるのではないか、と考えます。
折角の時間に、走ったり、ストレッチをたくさんしたり、
いろいろ体に気を配り鍛えている人や、
おうちごはんが増えて、楽しく食卓を囲んでおいしく食べている人たちは、
今までの生活の間違いに気づいて、新しいリズムを作ろうとしているみたいです。
逆に、コンビニやインスタントのものの比率が増えたり、
「ついでおやつ」も増え、だからもちろん体重増加。
ゲームやテレビに長時間かじりついて、昼夜逆転して太陽がまぶしい人は、
きっと免疫が下がりつつある。
イライラや気分の切り替えに酒量が増えているひとは、依存傾向?
がんばらなきゃ!と肩に力が入り過ぎて、
感情が揺れがちになっている人もいるかもしれない。
こうしていると、生活時間がもとに戻っても、からだが戻らない、
そして気持ちも上がらなくなってしまいます。
この先の未来に、自分は健康だ、と前を向いていることができるよう、
からだと心を整えることを忘れずに。
「しかし、最悪の伝染病が流行った時でも、病気に冒されるのは感染に曝された人たちの中の一部だけであることを知り、すでに見てきたように、病気の真の原因は私たち自身の人格の中にあり、自分で統御できるということを認識すれば、怖がることなく大胆に進んでゆけるでしょう。治療法は自分自身の中にあると知っているからです。」
[エドワード・バッチ『なんじ自身を癒せ』(1930)第7章P.53]
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《現代語訳してみました》
最悪の伝染病が流行ると、感染の恐怖はすべての人にあるけれど、「感染してしまう、罹ってしまう」のは、全員ではなくその一部なのです。「病気の真の原因」は、私たち人間の人格に迷いがあり、何かに翻弄され自分らしさを失うことでしかないので、「自分でコントロールできるものだ」ということを知っていさえすれば、恐れることはありません。自分がなすべきことを、無理せず自分らしくやっていく限り、自分の力で打ち勝っていくことができるのは、誰しもが知っていることです。
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